備前の地で循環するモノづくりを目指して。1000年守り抜いた技法で新しい景色を生み出す。備前焼作家・伊勢崎創さんの話。

2021年03月16日 インタビュー記事

初めて陶器のお茶碗を買ってもらったときの誇らしさを覚えている。
手が滑ってそのお茶碗を割ってしまったときのことも。

でも、割れたお茶碗の行き先は知らない。

「陶器ごみ」

家庭から出るもの、制作過程に出るもの、流通事情で廃棄されるもの……それら日本における陶器ごみのリサイクル率は、限りなく低い。そのほとんどは埋め立てられ、土には還らない。
一方で、一部の窯元では原料の土不足が問題となっている現実も。

この不一致に、それぞれ疑問を感じていた2人が偶然出会ったことで生まれた会社がthe continue.です。ほとんど顧みられることのなかった陶器ごみから新たな価値を生み出そう。
そんな気持ちで始まったthe continue.はいま、陶器の世界の常識を変えようとしています。

最初の取り組みは創業者2人が出会った地、備前から。

六古窯にも数えられる備前焼。
岡山県備前市、伊部エリアでとれる土だけを使い、登り窯で長い時間をかけて焼きしめる。釉薬は使わない。

素朴なたたずまいと心地よい手触りが印象的な備前焼は、自然の偶発性と向き合う繊細な技術を要します。
そして、その作業の繊細さゆえに廃棄品も出やすい。
全体の1割は廃棄されるとも言われているのです。

今回は、備前の地に生まれ、備前焼作家として活躍する伊勢崎創さんにお話をうかがいます。
備前焼が歩んできた歴史、偶発性と必然性を行き来する窯焚きの面白さについて、そして備前焼の未来とRI-COに思うことをお話いただきました。

備前焼きが歩んできた道と、選ばなかった選択肢
時代に求められるものをつくってきた

備前焼の歴史について教えてください。

伊勢崎創さん(以下:伊勢崎):備前焼の源流は古墳時代に多くつくられた須恵器にあると言われています。

今でも面影は残っていると思いますよ。それだけプリミティブなかたちの焼き物なんです。

「備前焼」としてのアイデンティティを確立したのはいつ頃ですか?

伊勢崎:鎌倉時代と考えられています。

もともと備前焼の祖にあたる技能集団が存在していて、権力者からの求めに応じて焼き物をつくっていたのが、やがてこの伊部の地に落ち着いて、現在のような赤褐色の焼き物を焼くようになります。
それに伴って、だんだん民間のための焼き物づくりにシフトしていきました。

どんなものをつくっていたんですか?

伊勢崎:壺・甕・すり鉢を多く生産していました。

料理や洗い物に使う水を貯めたり、ボウルとして使ったりと、台所仕事を支える道具ですね。

戦国時代なんかは、兵糧攻めのための備蓄用に高さが150センチほどもある大型の甕も需要があったようです。

デメリットをカバーしようとしたら、唯一無二の副産物を得た

室町時代に入ってくるとどうでしょうか?

伊勢崎:なんといっても茶の湯の登場が大きいですね。

詳しくはあとで説明しますが、備前焼で使われる土はあまり焼き物向きではないと言われています。急激な温度変化に弱いんです。

よって低めの温度で長時間焼くことが求められるんですが、このデメリットが思わぬ副産物を生みました。

長く焼けば、薪の量も多くなり、窯のなかには大量の灰が堆積します。
その灰が焼き物に降りかかり、溶け、自然の釉薬として備前焼に非常に美しい模様をつけることになったんです。窯変(ようへん)といいます。

この窯変が茶の湯の世界では非常に魅力的なものであると捉えられ、茶の湯文化隆盛のなかで備前焼も引き上げられていくようになります。

デメリットをカバーするためのやり方が、かえって備前焼だけの魅力を引き出したんですね。

「釉薬は使わない」と決めた備前焼がたどる道

江戸時代以降はどうでしょう? 民衆の文化が花開く時代ですが。

伊勢崎:備前焼は室町時代を頂点にして、あとはゆるやかな下降線を辿っていくんです。江戸時代、備前では細工物といって、繊細な彫刻を施す焼き物がつくられていて、とくに中期には名品が多い。

けれど、江戸時代は同時に、釉薬がかかった陶器が人気を集めた時代でもあったんです。

釉薬とか上絵付けとか、わかりやすく華やかな陶器や磁器が登場するころですね。

伊勢崎:はい。大陸から来た焼き物もありますし、藩お抱えの御用窯でつくられてきた焼き物も進歩して、多彩な表現方法が花開きました。それらが非常に人気となりました。

しかし、備前焼はその流行にのることを選ばなかった。

伊勢崎:そうです。誰がどんな理由でそう決めたのかはわからないのですが、確実に「釉薬をかけるという道を選ばない」と決めたタイミングはあったはず。結果、備前焼は流行に取り残されるわけですが、そこで守ると決めたものが今となっては備前焼だけが持つ特徴になったんですね。

素材と向き合った1000年 「ひよせ」という希少な土

備前焼という焼き物の特徴について、もう少し詳しく聞かせてください。

伊勢崎:まず、なによりも土です。

「ひよせ」と呼ばれる希少な土が備前焼の原料となっています
これは平地の地下にある粘土層から取れるもので、田んぼから取るのが一番やりやすいということで田土とも呼ばれています。

備前エリアの平地の地下ならどこでも良いんですか?

伊勢崎:いえ。そういう土が取れる筋というのが、海から山にかけて、いく筋かあるんです。

そのなかでも、海の成分と山の成分がちょうどミックスされるエリアがもっとも良い土が取れます。この伊部はちょうどその良質な土が取れる場所なんです。

何万年という時間をかけて大地が生み出したものを、先人たちが見出し、技術によって磨いてきたんですね。

2週間、窯を焚きつづけることで現れる景色

備前の土は長時間焼くことが必要だと伺いましたが、現在はどのくらいの時間をかけて焼いているんですか?

伊勢崎:僕のところは2週間です。
2週間窯に張り付いて焚き続けるっていうのは、薪代も人件費もかなりかかる。

でも、ゆっくりと焼くことで丈夫な焼き物になるし、さきほどご説明した窯変という副産物もこの時間のなかであらわれてくるわけです。

備前焼には窯焚きを通して現れる特徴的な模様(景色)がいくつかあると思うのですが、ご紹介いただけますか?

伊勢崎:備前焼に必要不可欠なのが薪。赤松の薪です。
この薪の灰が作品にかかって溶ける状態を「胡麻」といいます。

「緋襷(ひだすき)」も備前の特徴的な模様ですね。
これは作品に稲藁を巻きつけたり置いたりすることで、備前の土に多く含まれる鉄分と、稲藁の成分とが化学反応を起こして、赤く発色するんです。

狙ってイレギュラーを起こす。1年に1回の挑戦。

青備前、というものがあるとお聞きしたのですが、それはどうでしょうか?

伊勢崎:青備前は窯のなかの状況と深く関係しています。まず焼き物が青くなるというのは、還元状態(酸素が足りない状態)であるということなんですよ。

備前焼は基本的に酸化焼成(燃料が完全に燃焼するだけの酸素がある状態での焼成)の焼き物ですが、窯のなかの灰に作品が埋もれて酸欠状態になると、そこだけ青とか黒っぽくなるんです。
これが青備前ですね。

なるほど。窯のなかの状態に左右されるんですね。

伊勢崎:それが面白いんですよね。窯の中は均一ではありません。場所によって酸素が多く通るところ、届きにくいところ、湿気が集まるところ、それらの場所の特徴を捉えて、作品にあえてイレギュラーを起こす。

現代の備前焼は個人作家が多いから均一性ってあまり求められていなくて、むしろイレギュラーをどう意識的に起こすかということを考えています。

「こんな窯変を出すためにはどんな条件が必要か」って考えて、次の窯焚きに臨むということですか?

伊勢崎:はい。土の配合や、作品の配置場所、棚の組み方、焚き方……それらを総合的に判断します。

釉薬を使う作家さんたちは理想の色を出すために釉薬の調合に力を入れますよね。
僕らは窯の癖を把握することでそれを行なっている、という感じです。

1年に1回しか窯を焚かないので、その1回にいろんな狙いや思いを込めて。窯から出した作品が、想定を上回るものだったときなんかすごく嬉しいですよ。

え、1年に1回なんですか?

伊勢崎:そうです!

住宅事情もあって昔みたいに大きな作品はあまり求められなくなりましたから。

小さい作品が多いと、どうしても窯がいっぱいになるのに時間がかかるので、1年に1回が限度ですね。一度に1000〜2000点焼きます。

モチベーションのキープも大変そうですね。

伊勢崎:そうですね、モチベーションはだんだん下がりますね(笑)。
いろいろ難しいこともありますが、ものづくりの人間というのはなにより手を動かすことです。頭で解決するのではなく、手で解決する。

そのために作品を作りつづけることが大事なんだと思っています。

後継者、販路、そして原料不足。RI-COとの出会いは突破口になるか

現代の備前焼が抱える「後継者」「販路」問題

現代の備前焼が置かれた状況について、教えてください。

伊勢崎:伝統工芸はどこも厳しいと思いますよ。景気にすごく左右されますからね。
備前焼も同じ。僕の父親の代から見ても作家やお客さんは半減しているんじゃないかな。

どんな問題が深刻ですか?

伊勢崎:後継者問題や、販路の問題。あとは原料不足の問題も。

具体的にはどういう状況ですか?

伊勢崎:まず後継者。
陶友会が運営している陶芸センターでは後継者育成に力を入れていますが、志望者は減っていて今年は2人でした。

僕自身、一人前になるまでには、弟子入りして10年以上かかっています。それだけの時間をかけられる人っていうのは、そう多くはないでしょうね。

やはり陶芸では弟子入りするのが一人前になるまでのルートとしては王道なのでしょうか?

伊勢崎:本人のやり方次第では独学でもかなり腕をあげられるかもしれないです。ただ、弟子入りするとお商売の面も含めて総合的に勉強させてもらえるというメリットはあると思います。

備前には作家さんの作品を流通させる問屋という存在がないんですよね。作家さんご自身がお客さんに売るところまでやる、という。これは販路の問題にも関係してきそうですが。

伊勢崎:そうですね。もっと備前焼の魅力がいろんな人に伝わって、作品を実際手に取った人たちの声がフィードバックされてまた作品づくりにも活かしていける……そういうサイクルができればいいんですけどね。

RI-COは革新的なプロジェクトだと思う

PRの面でも、備前焼が抱えるもうひとつの問題、原料不足という面でも、the continue.のRI-COプロジェクトは興味を持っていただけたのではないでしょうか?

伊勢崎:そうですね、とても革新的なプロジェクトだと感じています。

これまでは、廃棄になった備前焼を再利用しようとする動きはなかったんでしょうか?

伊勢崎:土塀の骨材に再利用していた時代もありましたが、ほぼ手つかずのままですね。

それに、備前焼はB品をあまり売らない産地です。
他の産地の陶器市なんかに行くと、B品を手頃な値段で手に入れることができますが、作家の多い備前では作家性を保つために正規の値段を守って販売していこうという考えなんです。
だからかなり高い割合で廃棄は出てしまいますね。

非常に綺麗な反応の出た作品でも少しひびが入っていたら廃棄ということですよね?

伊勢崎:そうですね。備前ではよく「良い焼きに限って傷がある」と言われます。

複雑な温度変化や湿気が集まる場所は、美しい模様を生み出しますが、同時に温度差も大きくなるので傷が入りやすいんです。やっぱり悲しいですよ、そういうのを見ると。

でも「次、頑張ろう」と割り切ってやってきました。そうするしかないんだと思い込んでいたので。

そういった問題に対して、RI-COプロジェクトは意義ある提案になりそうですか?

伊勢崎:備前焼を再生させるときに、他の産地の土を混ぜることなく、100%備前エリアの素材だけで循環を完結させているのはすごいですよ。

備前焼の定義を守ることができるというのはかなり大きい意義があります。

伝統を守りつつ、新しい表情を引き出すことが必要

備前焼の未来について考えたとき、定義を守るというのはやはり大切なことなのでしょうか?

伊勢崎:いろんな意見がありますよ。
それこそ釉薬をかけようって案も出ます。

でも、個人的には1000年近く守られてきた素材と技法を尊重したいと思っています。

実際に、伝統を守りつつ備前焼の新しい表情を引き出す技法も生まれているんです。

原料として、これまでは作品づくりに使ってこなかったエリアの土も使っていこうという動きです。
かなり試作も進んでいて、備前焼の新たな一面を引き出してくれるんじゃないかと期待しています。

デメリットをカバーすることで副産物を得てきた、備前焼の歴史にも重なりますね。

伊勢崎:はい。備前の素材にはまだまだポテンシャルがある。

かつての陶工たちがそうしてきたように、素材との対話を続けることで、伝統を守りつつも新たな表現方法や提案の仕方を模索してきたいと思います。